大判例

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東京高等裁判所 昭和43年(う)2429号 判決

被告人 塚田世吉

〔抄 録〕

所論は要するに、被告人には本件公訴事実のような信号無視の事実はなく、被告人は無罪であるのに、原判決が被告人を有罪としたのは、事実を誤認したものであつて、破棄されなければならないというに帰する。

まず、被告人が信号無視をしたとして公訴を提起された原判示番地所在の、自動信号機の設置してある交差点(以下、本件交差点という。)は、原審検証調書その他の関係証拠によれば、通称新橋四丁目交差点といい、通称日比谷通りという日比谷方面から三田方面に通ずる有効幅員二二・八五メートル(両側に歩道がある。)の道路と、第一京浜方面から桜田方面に通ずる有効幅員九・三〇メートルの道路とが交差しており、右日比谷通り所在の信号機の作動状況は止まれの赤色が三〇秒、進めの青色が五二秒、注意の黄色が四秒であり、なお本件当時日比谷通りには都電軌道敷があり、安全地帯及び横断歩道が設置してあつたことが認められ、以上の地理的状況は、弁護人及び被告人とも何らこれを争つていない。

よつて以上の地理的状況を前提とし、所論に徴し記録を調査し、当審における事実取調の結果を参酌したうえ、つぎのとおり判断する。

ところで、被告人を検挙した警察官である安藤雅夫及び同大井唯幸はいずれも原審公判廷及び原審検証の際の指示説明において、自分ら(同警察官ら)は原判示の日時、俗に覆面パトカーと称する普通乗用自動車に乗つて交通の特別取締に従事中、前記日比谷通りを日比谷方面から三田方面に向け進行して来たところ、本件交差点入口の横断歩道の手前において、対面信号機が黄色信号を示していたため同所において停止していたが、間もなく同信号機が赤色信号に変り約二秒経過後、被告人運転のタクシー(以下、被告人車という。)が、日比谷方面から三田方面に向け、本件交差点の安全地帯の右側の都電軌道敷上を時速約四〇キロメートルで進行して来て本件交差点に進入したのを、右斜め前方約七メートルの地点(原審検証調書によれば、実測の結果約一二メートルである。)に現認したので、自分らは被告人車を検挙すべく、約一秒後、サイレンを鳴らし車両屋根上の赤色灯をつけて被告人車を約一五〇メートル追跡し、被告人車に追付き被告人に信号無視を告げた旨供述している。

以上の安藤、大井両警察官の供述によれば、被告人が本件交差点において信号無視をしたことは明白であるかのごとくであるが、論旨は、被告人は本件交差点を通過当時信号は青色であつた旨主張し、その理由を縷述し、被告人も検挙されてから原審公判廷に至るまで終始信号は青色であつた旨争つているので、他の関係証拠とも対比して右両警察官の原審公判証言の信用性の有無につき、さらに詳細に検討する。

まず、被告人側の証人である当時の被告人車の乗客都築敏之助は原審公判廷において、被告人車は当時日比谷方面から三田方面に向け本件交差点を、先行する一、二台の車両に近接して通過したが、自分(都築)は、間もなく警察官から、被告人車の信号無視により被告人を取調べる旨告げられ、被告人がパトカー内に連行され取調を受けている間被告人車内に待つていたところ、取調を終つた被告人が被告人車に帰つて来たので、そのまま被告人車で目的地まで行つた旨並びに被告人車が本件交差点にさしかかり、又同交差点を通過した際の信号の色は何色であつたか記憶ないが、そのとき反対方向からも自動車が進行して来たことは確かであり、自分は被告人の信号無視ということが納得できなかつたので、目的地まで行つて降りるときに、後で事件にでもなつたときに状況を話そうといい、被告人に自分の名刺を渡した旨供述し、これらの供述内容については、都築の当審公判証言においてもほとんど変るところはなく、要するに同人は、被告人の信号無視については極めて否定的であつたことが窺知されるところ、同人はたまたま被告人車に乗つたという関係以外には、被告人とは身分関係はもちろん何ら特殊の関係はなく、概して公平な第三者と認められ、又同人の社会的地位及び当審の供述態度等に徴すれば、信号の色の如何の点は明確を欠くのでしばらくおくとしても、少くとも、都築は、被告人が警察官の取調を受けている間被告人車内に待つており、被告人が被告人車に帰つてからそのまま同車に乗つて目的地まで行つたとの供述部分は十分信憑性があると認められ、従つてこのことは動かしがたい事実と認められる。しかるに、前記安藤警察官は原審公判廷において、当時の被告人車の乗客、即ち都築敏之助は、自分(安藤警察官)が被告人の信号無視を告げた際、直ちに被告人車から降り他のタクシーに乗つてその場を去つた旨確言し、又前記大井警察官も原審公判廷において、検察官の尋問に対し、安藤警察官と同様、都築が直ちに被告人車から降り他のタクシーに乗つて行つた旨確言している(もつとも同警察官は、弁護人の反対尋問に対し、都築が他のタクシーで行くのを見たとの点についてははつきり答えられないと供述を変え、或いは同人が他のタクシーに乗つて行つたというはつきりした記憶はないと供述するに至るなど、その証言態度が首尾一貫しないものとなつている。)。ところで前記安藤、大井両警察官の原審公判証言によれば、被告人は当時同警察官らの取調に対し、本件交差点を青色信号で通過した旨供述し、極力信号無視を争つている外、交通事件原票の供述書の欄に対する署名を拒否している事実が認められるところ、かような捜査状況のもとにおいては、しかも前記のとおり都築が被告人車両において待つていたのであるから、同警察官らとしては、都築に対し、被告人車の本件交差点通過の際の信号が何色であつたかなどの点につき一応事情を聴取するなどして証拠の確保に努めるべきではなかつたか。もしその場において不可能ならば、後日都築からこれを聴取すべきではなかつたか。それが捜査の常道ではなかろうか。しかるに同警察官らの前記各証言によれば、同警察官らは被告人を釈放後、直ちに関係距離の測定の外、本件交差点の信号機の作動状況や附近の目標となる建物等の取調をなしたものの、都築に対しては、その住所氏名を聞かないのはもちろん、何らの事情聴取もしていないことが認められるのみならず、前記のとおり都築が他のタクシーに乗つてその場を去つた旨、動かしがたいと認められる事実に反する供述をしているのであつて、これらの点を勘案すれば、前記両警察官の捜査方法には不備の点があることはこれを認めざるを得ず、又その供述態度は、同警察官らの供述するような、被告人の信号無視に関する現認状況の信用性に合理的な疑をさしはさまざるを得ないような欠陥があるといわれても致し方ないであろう。

つぎに前記安藤、大井両警察官はいずれも原審公判廷において、被告人車が赤色の信号に変つた後、約二秒を経過して本件交差点内に進入した際、被告人車は、交差道路である第一京浜方面に通ずる道路から桜田通り方面に向つて進行して来て右折の合図をしつつ交差点内に進入した普通貨物自動車の進路を妨げたため、普通貨物自動車は被告人車と衝突しそうになり、徐行か停止の状態になつた旨供述しているところ、論旨は、原審検証調書による右両警察官の指示する右普通貨物自動車の徐行又は停止地点と、第一京浜よりの交差道路の停止線との距離約一六・一〇メートルに徴し、右両警察官の供述する約二秒間では、停止線にいた右普通貨物自動車、とくに前記のように右折しようとしていた同貨物自動車の通常考えられる発進時の速度によつては、前記両警察官の供述するように被告人車と衝突しそうになることはあり得ないと主張し、この点からも右警察官らの証言は不合理であつて、信用性が十分でないといい、被告人もまた原審において陳述した陳述書及び当審においてほぼ論旨に符合する供述をしている(もつとも被告人は論旨の主張する前記距離一六・一〇メートルは一八・〇〇メートルであると述べている。なお、原審検証調書添付図面によれば、第一京浜よりの停止線から普通貨物自動車が進行を妨げられたという(チ)点までは、論旨のいうくらいの距離があると認められる。)ので考察するのに、被告人のこの点に関する供述部分及び論旨は経験則上必ずしも一理ないでもなく、そして、本件交差点において右折しようとした貨物自動車と衝突しそうになつたことはない旨の前記都築敏之助の原審、当審各証言をも参酌、考量すれば、この点においても、前記両警察官の証言の証拠価値は減殺されるものといわざるを得ない。

また記録によれば、本件交差点の信号機と、日比谷寄りの通称新橋一丁目交差点のそれとはいわゆる連動式であつて、車両が新橋一丁目交差点を青色信号で発進し、時速約四〇キロメートルで進行した場合、本件交差点を青色信号で通過するのが通常であることが認められるところ、被告人は前記陳述書中及び原審公判廷において、自分(被告人)は新橋一丁目交差点において赤色信号で停止し、青色信号で発進し、時速約四〇キロメートルで進行した旨供述しており(この、被告人車が新橋一丁目交差点を青色信号で発進し、時速約四〇キロメートルで進行したとの点については、これに反する証拠はないばかりでなく前記都築敏之助も当審公判廷において、被告人車が新橋一丁目交差点において赤色信号で停止し、青色信号で発進した旨証言し、被告人の供述を裏付けている。)、この供述部分と、前記両交差点が既に述べたとおり連動式である点、両交差点の距離が約四四〇メートルである点(この点は、検察官自身が原審の論告要旨中においてこれを認めている。)、本件交差点の信号機の青色信号の秒数が前記のとおり五二秒である点等を総合考察すれば、被告人車が本件交差点を青色信号で通過したという可能性も客観的に認められないではなく、この点においても、前記安藤、大井両警察官の、被告人車が信号無視をしたとの証言の証拠価値は減殺されざるを得ないこととなる。

さらに、前記都築敏之助の原審、当審各証言によれば、被告人車が右警察官らに信号無視で停止を命ぜられ、被告人が取調を受けた地点は本件交差点のつぎの通称郵便局前交差点の手前附近であることが認められるのに、右警察官らはいずれも原審公判廷及び原審検証の際の指示説明において、被告人を取調べた地点は同交差点を越えた地点である旨供述しているのであつて、この点についてもまた前段同様都築の証言は十分信用性があるものと認められ、従つて右警察官らの証言の証拠価値に疑問を投げかけざるを得ないこととなる。

又前記安藤、大井両警察官の乗車していたいわゆる覆面パトカーの型式についても、右警察官らの各原審公判証言、緊急自動車指定証謄本並びに司法巡査作成の昭和四三年七月一七日付実況見分調書(写真二葉添付)によつて認められるような、屋根上の前部の左右に前向き及び後向きの固定式の赤色灯各一個が附いているとの点は、前記都築敏之助の当審証言によつて認められるところ、当時のパトカーの屋根上には、その中央部に回転式のウインカーの赤色灯が一個ついていた旨の供述に対比し、かつ右実況見分が本件後約二年を経過して行なわれている点を勘案すれば、これを肯認するには躊躇を感じさせるものがあり、この点からも、右警察官らの証言の証拠価値は、そのままこれを肯認することはできない。

以上説明のとおりであつて、これを要するに、前記安藤、大井両警察官の各原審公判証言は、前記都築敏之助の原審、当審各公判証言及び被告人の弁明その他関係証拠に対比して合理性に欠けるものないしは信用性の十分でない点が多く、しかも原判決の挙示したその他の証拠と総合しても、本件を有罪とするについて合理的な疑をさしはさむ余地のない程度に証拠十分であるとは認めがたく、ことに既に述べたような当初の捜査の不備等を勘案すれば、現在の証拠裁判のもとにおいては、本件が無罪とされるのもやむなしとしなければならない。されば原審は結局において証拠の取捨、価値判断を誤り、ひいて事実を誤認し、被告人を有罪と認定したことに帰し、原判決はとうてい破棄を免れない。論旨は理由がある。

(栗本 石田一 藤井)

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